人間が悪魔化するとき ―デビルマンとコロナ禍―
皆さんこんにちは。院長の千々岩です。
ところで私のブログの読者であれば、既にご存じかもしれませんが、結構私は漫画や映画が大好きなドクターです。
その中でも、読者の心を時にえぐってくる「トラウマ作品」と呼ばれるダークな作品に、物心ついたときから惹かれてしまうところがありました。
映画で言えば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、「ミスト」、 「セブン」、漫画で言えば「ベルセルク」、「闇金ウシジマくん」、「ミスミソウ」etc etc…..。
トラウマ作品を挙げれば、枚挙に暇がないわけですが、この中で究極の名作を一つ挙げるとすれば、間違いなく私は「デビルマン」を推すでしょう。
デビルマンと言えば、漫画界の大御所である、永井豪先生の初期の名作になりますが、いわゆる「ダークファンタジー」やSFジャンルの中で、「デビルマン」の影響をうけていないものは殆ど存在しないのではないでしょうか…。
例えば、ベルセルク 寄生獣 エヴァンゲリオン ザ・ワールドイズマイン チェンソーマンしかりです。
デビルマンには様々な逸話があります。
〇 作者は作品のクライマックスをトランス状態で描ききった。
〇 作者は何度もデビルマン関連の続編を描いたものの、結局初代を超えることはできなかった。
〇 マジンガーZは楽しく描けたのに、デビルマンの創作中はひたすら消耗してしまい、体力には自信 があったにも関わらず、何度か卒倒しそうになった。
〇 漫画版は不朽の名作なのに、映画版はあまりの出来栄えの酷さにファンが激怒!暴動が起きるレベルでネット掲示板が炎上。北野武をして「映画史に残るおバカ映画」と言わしめた。
などなど…。
私は高校生の時に行きつけの飲食店で、初めて単行本を読んだのですが、漫画の中に込められた鬼気迫る異常なエネルギーにあてられてしまい、折角のランチが消化不良気味になったことを覚えています(苦笑)。
<あらすじ>
気弱な少年・不動明は、親友の飛鳥了から地球の先住人類である「デーモン(悪魔)族」の復活と人類滅亡の危機を知らされる。了に促され、デーモンと合体してその超常的な力を手に入れた明は、人間の心を保ちながら「デビルマン」として戦うことを決意。しかし、デーモンは人間の心や負の感情を利用して人間同士の疑心暗鬼を煽り、人類は自らの手で破滅の道を歩み始める…。

詳細なネタバレは避けますが、前半はデーモンの刺客たちとのバトル漫画の体をなしていました。しかし後半、デーモンが本格的に人間社会への侵攻を開始し、世界中の都市が炎に包まれるようになると、「悪魔の正体は現代社会に不満を持つ人間である」と、有名な科学者が発表。
人間社会に潜伏する悪魔を掃討するために、政府により「悪魔特捜隊」が組織され、「悪魔狩り」の名のもとに、罪もない人々が殺戮されていく事態となっていきます。
また、恐怖や疑心暗鬼に支配された一般市民も互いを密告しあい、悪魔を出したという家に対しては暴徒化し、家に火をかけたり暴力を振るうという地獄絵図が繰り広げられます。
しかし、この場面「所詮、漫画の中での話だから…」と笑い飛ばすことはできません。
関東大震災や東日本大震災、そして直近ではコロナ禍。
パニックや恐怖感にとらわれた大衆によって起こされた悲劇は数えきれないほど存在します。
とくにコロナ禍の数年間はひどいものでした。
- 感染への恐怖。
- 先の見えない不安。
- 経済的ストレス。
- 孤立。
私の心療内科の外来でも、眠れない。不安が止まらない。イライラする。家族関係が悪化した。
SNSを見ると苦しくなる。
そんな訴えが急増していました。中には診察室の椅子にすら、「感染したくないから」と言って立ちっぱなしで診察を受けた患者さんもいました。
そして社会全体でもデビルマンを彷彿とさせる社会現象が起きていました。
- 他県ナンバーの車への攻撃。
- 自粛警察。
- マスクを始めとした転売行為。
- ワクチン賛成派と否定派の分断。
- SNSでの集団リンチ。
もちろん感染対策そのものは重要です。しかし時に、恐怖や不安は人を攻撃的に変えてしまいます。
人間は強いストレス状態に置かれると、「闘争・逃走反応」のスイッチが入り、「周りを蹴落としてでも自分が生存する」というモードへと切り替わります。
この状態では、
- 同調圧力、集団心理の先鋭化。
- 百かゼロ、白か黒の二分思考。
- 周囲の人を「敵か味方か」で判断。
- 自分が安心するために、「悪者探し」や「弱い者いじめ」を始める。
つまり、
「不安に耐えられなくなると、人は“悪魔化”する」のです。
デビルマンの中でも、人々はデーモンそのものより、「悪魔かもしれない他人」を恐れ始めます。
その姿は、コロナ禍の社会と驚くほど重なって見えました。
私は当時、「人間はこんなにも簡単に分断されるのか」という怖さをひしひしと感じました。
しかし一方で、コロナ禍では逆の光景もありました。
- 孤立した患者さんを支え続けた家族や友人関係。
- 疲弊しながらも働き続けた医療従事者。
- 縁の下の力持ちとして働いてくれていたエッセンシャルワーカーの方々。
振り返ると、人間の弱さ・醜さといった負の部分だけではなく、優しさや忍耐強さ、その両方が極限まで露わになった数年間だったように思います。
だから私は、デビルマンという作品は単なる絶望や破局(カタストロフィ)を描いた漫画ではなく、
「人間とは何か」
という根源的なテーマを刺激的に描いた作品なのだと解釈しています。
人は弱い。恐怖でパニックに陥る。時に残酷になる。
しかしそれでも、誰かを想い、支え、慈しむ心も持っている。
心療内科の臨床現場でも、強い不安や疲労が続くと、人はどんどん心の余裕を失っていきます。
睡眠不足。社会的孤立や慢性的ストレス。
これらは心だけでなく、その人の「人間らしさ」そのものを削っていく…。
だからこそ、私は最近、
余裕や余暇は贅沢ではなく、人間性を守るために必要なものなのではないか、と感じています。
- 自然の中でひたすらボーっとする。
- 誰かに愚痴を聞いてもらう。
- 談笑する。
- 趣味に没頭する。
そんな余白があるが故に、人は悪魔にならずに済むのかもしれません。
54年前に描かれたデビルマンは、令和の現在に読んでもなお、私たちに問いかけ続けています。
「本当の悪魔とは、誰なのか」と。