餃子のルーツは漢方薬(・□・;)?
- 2024年2月12日
- コラム
みなさん、こんにちは。院長の千々岩です。
先日ウェブ講演の座長を務めてきたのですが、演者の先生は毎日ホームページのブログの更新をされているとのこと!
根がずぼらな私にはとても真似などできませんが、細々とマイペースに当クリニックのブログを更新していきたいと思います(❁´ω`❁)。
さて、今回は餃子のお話。
皆さん餃子はお好きですか?私もリンガーハットの餃子から、近所の福〇飯店のジャンボ餃子まで、こよなく餃子を愛する男です(*^^)v
餃子が中華料理であり、その発祥が中国であることは皆さんご存じかと思います。
しかし、そのルーツが中国の三国時代のある名医にあることは、あまり知られていないのではないでしょうか。
その名医の名前とは、「張仲景(ちょうちゅうけい)」。ちなみに中国4大名医の一人と言われています。(残り3人は、扁鵲(へんじゃく) 華佗(かだ) 李時珍(りじちん)です)
この中国4大名医のうち、張仲景と華佗の二人が三国時代(西暦184~280年)の同時代に生きていることは、実は滅茶苦茶スゴイことなのです(`・ω・´)。
三国志ファンからすれば、華佗はかなりのビッグネーム!三国志演義では、「神医」と呼ばれ孫策や関羽といった英雄の傷を治療していますし、麻酔薬「麻沸散(まふつさん)」を用いて腹部切開手術をおこなったことや、お屠蘇の考案者としても有名です。(いつか華佗についても取り上げてみます)
一方、張仲景は我々漢方医からしてみれば、神様とも呼ぶべき人物になります。
なぜならば、「葛根湯」や「麻黄湯」、「五苓散」、「柴胡加竜骨牡蛎湯」その他多くの有名処方は、彼が編纂した「傷寒雑病論」が原典になるからです。
張仲景について少し紹介してみましょう。
姓は張 名は機、字(あざな)は仲景で西暦150年頃、荊州南陽郡涅陽県で誕生。10代には、その聡明さで近隣に名を知られていたとのこと。青年時代に同郷の張伯祖から医術を学び、長沙の太守に任命されます。
しかしその後、中国大陸を疫病が大流行します。(この時の疫病は同時期にインド、ヨーロッパでも流行したという説もあり、新型コロナやペスト同様、パンデミックだったのでしょう)
このとき、張仲景の一族200人のうち3分の2が死亡。そのうち7割は傷寒によるものでした。
ちなみに傷寒とは、現代医学でいうところのチフス、マラリアといった流行性の感染症であったようです。張仲景はこの惨禍に直面したことで、「人は早死にを防いで、天寿を全うしなければならない」と思い、傷寒論を書き上げました。この傷寒論は、約1800年後の現代においても漢方医学のバイブルであり続けています。
おっと!すっかり餃子の話を忘れていました(ノ∀`)アチャー。
張仲景の故郷では、毎年冬になると飢えと寒さに苦しむ民衆が沢山おり、その内の多くが耳の凍傷に悩まされていました。
これに見かねた張仲景、羊肉・唐辛子・薬草を煮込み、具材を取り出して小麦粉で出来た皮で包んでから再びスープの中で煮るという薬膳料理(今でいう水餃子ですね)を患者たちに振る舞いました。
この薬膳料理は「去寒嬌耳湯(きょかんきょうじとう)」と命名。食べ続けた患者は、耳の凍傷がたちまち改善!!
これを大晦日まで民衆に配り続けたことから、人々はこの料理を大晦日や春節に食するようになりました。やがてこの料理は「嬌耳湯」の発音を真似て「餃子(ジャウ・ツ)」と呼ばれ中国全土へと普及したとのことです。
ちなみに傷寒論中にも「当帰生姜羊肉湯(とうきしょうきょうようにくとう)」という処方があります。生薬の当帰、生姜、ラム肉を煮込んだ薬湯であり、しもやけ、冷えによる腹痛、腰痛に使用されます。この処方が傷寒論中にあることからも、張仲景と餃子のエピソードは、ただの伝承ではなく、リアルにあった話と私は思っています。
どうでしょうか。張仲景がいなければ、葛根湯も水餃子も、「餃子の王将」も、宇都宮市の発展もなかったかも知れません…。
皆さんも、餃子を食べるときには三国時代の張仲景先生に、思いを寄せてみては如何でしょうか(^^♪