メンタル不調と芸術作品、そしてガンダム。
皆さんこんにちは(^^♪
お盆休みは、長崎の平戸に行ったのですが、なんと線状降水帯と思いっきりバッティングしてしまうことに( ;∀;)。
途中で道路は水没しているは、迂回路の山道では、道路脇から水が噴き出ているは、なかなかスリリングな体験をすることができました。
何とか無事に福岡に戻ってこられて、外来診療を再開できており、ほっと一安心の私です。
さて、私は生粋の心療内科医であるため、中核的な精神疾患の患者さんを診ることはあまりないのですが、以前から心の病と芸術作品との関連には、学生の頃から強い興味を抱いてきました。
昔から「天才と狂気は紙一重」と呼ばれますが、ゴッホ、ムンク、シューマン、ベートーヴェン、夏目漱石、ドストエフスキー、ヘルマン・ヘッセなど、多くの芸術家や文豪が心の病による苦悩を抱えていたことが知られています。
彼らの作品には、その痛みや不安、孤独が色濃く刻まれており、今なお我々の心に深い印象を残し続けています。
現代の研究では、双極性障害(躁うつ病)と創造性の関係が注目されています。
躁状態では発想が豊かになり、抑うつ期には深い内省が生まれる。こうした振れ幅が独創的な作品を生む原動力につながることがあります。また、不安障害やうつ病の人々は感受性が高く、他者の心に寄り添う表現を紡ぎ出す力をもっています。
そういえば、SFロボットアニメの金字塔、「機動戦士ガンダム」の監督で知られる富野由悠季氏も、感情の振れ幅が大きく、その時のメンタリティによって、担当したアニメ作品の作風が大きく異なってくるのは、ファンの間では有名な話です。
富野監督のシリアスな作品群には、『伝説巨人イデオン』や『無敵超人ザンボット3』、『聖戦士ダンバイン』、『機動戦士Zガンダム』『機動戦士Vガンダム』などがありますが、登場人物の家族やヒロインが次々に命を落としたり、ラストで主人公が精神崩壊を起こすなど、救いのないダークすぎる展開が特徴でした。
そのためこの時期の富野監督は「皆殺しの富野」「黒富野」などと称される所以となっています。
画家のピカソで言えば、親友が自殺したことに影響を受け、青や青緑といった色をメインとして使用し、精神的苦悩や貧困、生と死といった重いテーマを扱った「青の時代」に相当するかもしれません。
実際、『機動戦士Zガンダム』放映終了後の1990年代に、富野監督は重度のうつ状態に陥ったようであり、外出困難の状態にまで陥ったようです。
しかし1998~99年ごろ、『∀GUNDAM』という作品において、富野監督は「文明の輪廻と再生」や「人間性肯定」といったポジティブなテーマを掲げ、作風も明るく変化しました。
自らを「リハビリ作家」と位置づけ、作品作りを通じて精神状態の回復を果たすことに成功したのです。
このように富野監督の作品群は、「皆殺しの富野」と呼ばれる暗黒期から、徐々に明るく前向きなトーンへと移行しています。この変遷は、監督自身のメンタリティの波が反映された結果であると解釈できるでしょう。
うつが改善した後の富野監督は、黒富野時代の自分のアニメ作品が許せなかったのか、主人公が精神崩壊を起こさない「新約版・Ζガンダム」を作り直したり、「機動戦士Vガンダム」のDVDボックスには、「このDVDは、見られたものではないので買ってはいけません!!」といったコメントを載せています(笑)。
実に人間臭くて、親近感が湧くところですよね。
このように創作活動や芸術作品というものは、ジャンルを問わず、アーティストの精神状態を映した鏡ともいえるものであり、富野作品が数多くのファンを魅了する理由の1つにもなっています。
「機動戦士ガンダム」が生誕して今年で46年になります。
ガンダムに関するコンテンツは、今なお成長しており、SFロボットアニメの古典として、100年後も愛される作品であるのは間違いないでしょう。
皆さんもガンダムを目にする機会があったら、富野監督が感じた「生みの苦しみ」そして「創作活動はメンタル不調を回復させる」というテーマに思いを馳せてみては如何でしょうか(^^♪。